国道ピックとのりもの


2013.09.29松阪編


表裏一体!?
2013年9月29日
●入手ピック:国道42166
●移動手段:バイク(CRM80
●方面:松阪


 松阪。

 全国区のこの街の知名度は、恐らく圧倒的に「松阪牛」によるだろう。本居宣長のゆかりの地であったりもするのだが。松阪牛とは「『黒毛和種』の『未経産(子を産んでいない)雌牛』で、2004年(平成16年)11月1日時点での三重県・中勢地方を中心とした旧22市町村、および、旧松阪肉牛生産者の会会員の元で肥育され、松阪牛個体識別管理システムに登録している牛をいう」(ウィキペディアより)だそうだ。うまい和牛なのはそうだが、松阪牛のホルモンはちょっと感動した。ホルモン自体、なんかこう一種のゲテモノ感は拭い去れない上での賞味だが、松阪牛はホルモンになっても、こうも違うのか、と驚いた。

 話がそれた。表の松阪が「松阪牛」なら、裏の松阪は「国道ピック」である(?)。松阪にある村井楽器には、R42とR166があるという。両路線とも松阪を通り、特にR166は松阪が終点だから、2路線の選定もおかしくはない。しかし、このR42とR166、表裏一体、片面がR42で他方はR166だ、というのだ。これは初のケースである。

 朝、0530ごろCRM80を駆って出発した。もう秋分は過ぎている。まだなんとなく空が暗い。交通量の少ないうちに中央環状を快走する。ふだん東に抜ける際はR163やR165を使うことが多いのだが、松阪までなら片道で200qもない余裕の行程である。まっすぐ向かっても開店より早くつきそうでもあるので、R308暗峠で東に越えることとした。
 石切を越えると急に山岳地形となる大阪東部。国道308号は、その本来の役割はすでに表の阪奈道路・第二阪奈に譲り渡しており、裏側の本線は、名ばかりの“酷道”である。近鉄をくぐったあたりはご覧のとおり。

 ただの住宅街。▽のオムスビも見当たらず。よくよくあたりを見回すと、やっと

ってな感じで国費が入ってますよアピールをささやかに行っている。
 生駒山を越えていく暗峠、傾動地塊と呼ばれる生駒山の大阪側の急傾斜を真正面から突破するゆえに、その傾斜は半端ではない。


 しかし、どうも画像にすると、傾き具合ってわかりづらいのよね。ということで、これでどうだ?

 立っているだけでもしんどいからか三半規管がやられ、それでも傾いた写真になっているが、まっすぐ立っているはずの支柱との比較でわかるでしょ?暗峠自体は、四輪では何度か通っているけれども、バイクは初めて。さすがに小排気量のマシンは辛い。それでもギア付きだからまだいいが、スクーターだと登れるのかしら?

 坂を登り切ったあたりで出くわす交差点。

 アスファルト舗装は公園の連絡路?で、コンクリートで田圃へ降りるランプみたいなのが本線である。その先に申し訳なさそうに伸びる筋に、迷いなく突っ込める人がどれだけいるだろうか。
 峠の歴史は非常に古く、奈良時代まで遡ることができるらしい。だからか、あるいは大都市圏のすぐ近くでやっていけたのだろうか、峠付近には集落があり、石畳のその瞬間だけを切り取れば、歴史ある街角といった趣だ。


 ただし、幅員制限は1.3mで、軽自動車も通行してはならぬのだが…。

 奈良県に入ってからは南下し、R25からR24を経て橿原でR165、桜井からはR166へとつないでいく。このあたり東西筋であるR163、R165、R166は、南に行くほど山岳風景が色濃くなり、ライダーにとっては気持ちよくなる。最も南を走るR166、奈良〜三重県境の高見峠は、標高もあって豪快な峠越え。ただ、ちょっと80tでは勾配がきつい。まだ時間が早く、交通量が少なかったから、自分のペースで気持ちよく越えられた。三重側は、ところどころに未改良区間があるが、基本的には快走路が続き、1030前には松阪市郊外の村井楽器に到着した。

 確かに、情報通り表(裏?)にR42、裏(?)にR166が印刷されている(画像でお見せできないのがもどかしい)。フォントや体裁は間違いなく、今までに見てきたものなんだが。どういういきさつだろうか。村井楽器の所在地の少し先は、R166の終点であり、R42との交点があるが、そんな地理的な事情から発注をかけた、ということか。ならば、国道ピックはある意味いい加減な(カタログにバチッと載っているということではない、という意味で)商品なんだろうか。そういえば、裏面に楽器店の周年を印刷したものがあったなんて話もどこかで聞いたが。

 まだまだ日が高い。せっかくなので、松阪市内のスーパーに寄り道。名古屋を中心とする東海エリアは、東京とも大阪とも違った独自の文化圏を形成し、その都市規模ゆえに両地域に挟まれながらもぎりぎり独自性を現在でも維持している。商品も、愛知、岐阜、三重産が目につく。ただし、小生は愛知や三重に住んでいたことがあって、どれが独自なのかにイマイチ自信が持てないんだが、いくつかアイテムを手に入れて、松阪をあとにした。

 帰り道はできるだけ同じルートを通りたくない小生。しかも今日は、モトクロスタイヤを履いているCRM80である。ということで、戻りは裏鈴鹿峠と言ってもいい神大滝林道を通ってみることにした。いったんR306で亀山まで北上。陣八というセルフのうどん屋さんで昼飯。最近は○亀製麺じゃないが、いかにもなネーミングでも讃岐とは無関係の讃岐うどん屋が乱立しており、この陣八がどうかは知らぬ。ただ、ここの生醤油うどんが絶品なのである。これも、本家でどうかは知らぬが(というか、少なくともまだ香川で見かけたことはない)、生醤油うどんにお酢がついてくるのである。酢醤油で食べるというのは気づきそうなものだが意外とやらない。しかし、うまいのである。また、てんぷらも酢醤油が合う。ここで食べ方を知ってから、時々てんぷらを酢醤油で味わったりもする。


 このボリュームで450円。サラダもうまかった。

 さて、神大滝林道は、R1鈴鹿峠の途中から分岐し、峠の少し南側を同じく鈴鹿山脈を越えていく林道なのだが、その筋からは崩落っぷりが有名な廃道である。時々通過するのだが、フルサイズのトレールでは気が引ける程度に荒れている。
 久々の突入。

 え?どこにも「通行止め」とは書いていませんね。
 しばらくは舗装路が続くんだが、先日の台風のせいか、路面に大量の土砂が流出し、堆積している。ヤバそう…と思っていたら、やっぱり。

 派手に崩れていますねぇ。ちょっと崩れたてて柔らかいのが気になったが、傾斜や積もり方からすれば、無理すれば行けなくもなさそうではあった。でも、この先もどうなっているかわからない。もちろん、序論の舗装路の部分でこれだから、本番の上部ゲロ部はなお怪しい。もともとオフに突っ込む覚悟ではないから軽装でもあったし、勇気ある撤退をしましたよ、おとなしく鈴鹿峠を越えました。

 栗東からは、通常だとR1に沿っておとなしく大津〜京都と都市部を抜けるのだが、これがつまらない!ということで、今度は琵琶湖大橋を渡ってR477で京都市の北縁をなぞることとした。大原の北のはずれからR367と別れ、一路酷道区間へ。この時点ですでに1630を回っている。日没が早いぞ、夜に酷道は走りたくない…。
 焦りとモトクロスタイヤという限界の低さとの葛藤の中で、スズキのエンブレムみたいな急カーブの連続をこなしながら、百井の集落に至る。いつも通過する場所、なんでこんな山奥に集落が残っているのか謎だが、今日もパス。

 これ、この先下っていく国道なんですけど…。
 そして伝説の百井別れ。

 わかるかなぁ、目の前を横切っているのが、今から進むR477。明らかに付き方がオカシイ。

 出てきた道、そして左に抜ける道、これがR477の本線である。80tのバイクだからなんの問題もなく回っていくけれども。
 花背の集落まで下れば、だいぶ人の気配を感じるようになる。ここら一帯が京都市内というのは、相変わらず信じられぬが。京北町のR162周山街道とクロスするあたりでようやく1730ごろ。まだなんとか明るい。次の南丹神吉までの酷区間もう一越えは、なんとか日没前にこなしたい…くて頑張って、なんとか間に合った。あとは、亀岡盆地までほんの少しの区間だ、と一安心しながら廻り田池を一周したら、なんと!

 これは、シャレにならんなぁ。この先、左上方に伸びる道は、結構な腐道らしく、しかも通ったことがない。後戻りもしんどい。

 というわけで、26世紀の科学を駆使してワープし、無事ふつうの時間に戻って来れましたとさ。


 神大滝、R477のほかにも、R25旧道“名阪酷道”も通行止めだったみたい。台風から2週間、表側、たとえば嵐山の観光地なんかは「奇跡のスピード復興」なんて囃し立てられるが、裏側はまだまだ傷跡がいっぱい。


 裏表な一日であった。